皆さんこんにちは!
食パン家あいの更新担当の中西です。
さて今回は
【パン屋の歩みは日本の近代史】
日本におけるパン文化とパン屋の歴史をたどる
目次
1. 戦国時代:ポルトガル人とともに伝来した「パン」
1543年、ポルトガル人が種子島に漂着した際、鉄砲とともにパンも日本に伝わりました。パンはポルトガル語の「pão」に由来し、当初はキリスト教の布教活動とともに長崎や平戸などで宣教師や南蛮商人が食していました。織田信長もパンを好んだと伝えられていますが、当時の日本では米が主食であり、パンは広く普及しませんでした 。
2. 江戸時代:鎖国とともに姿を消したパン文化
江戸幕府の鎖国政策により、キリスト教や外国との交易が禁止され、パンも日本から姿を消しました。唯一、長崎の出島でオランダ商人のために細々と作られていた程度でした 。
3. 幕末:兵糧としてのパンの復活
1840年のアヘン戦争を受けて、幕府は外国からの攻撃に備え、兵糧としてパンの製造を試みました。1842年、伊豆・韮山の代官であった江川太郎左衛門が、長崎からパン職人を招き、保存性の高い「兵糧パン」を開発しました。これが日本人による初のパン製造とされ、江川は「パンの祖」と呼ばれています 。
4. 明治時代:あんパンの誕生とパン屋の普及
1869年、銀座に「木村屋總本店」が開業し、1874年には酒種酵母を使った「あんパン」を考案しました。1875年、明治天皇に献上されたことをきっかけに、あんパンは大衆に広まり、パン屋の数も増加しました。これにより、パンは日本人の食生活に徐々に浸透していきました 。
5. 大正時代:パン食文化の急成長
大正時代には、第一次世界大戦の影響でパンの需要が高まり、製粉会社や製パン会社が増加しました。ドイツやロシアからの製パン技術も導入され、パンの種類や製法が多様化しました。これにより、パンは一部の階級だけでなく、一般家庭にも広がっていきました 。
6. 昭和時代:戦後のパン食普及と学校給食
第二次世界大戦後、アメリカからの小麦粉の援助により、パンが大量に生産されるようになりました。1954年には「学校給食法」が成立し、全国の小中学校でパンが主食として提供されるようになりました。これにより、パンは日本人の主食の一つとして定着しました 。
7. 現代:多様化するパン文化と専門店の登場
1990年代以降、本格的なフランスパンやドイツパンを提供する専門店が都市部に登場し、パン文化はさらに多様化しました。また、日本独自の惣菜パンや菓子パンも進化を遂げ、パン屋は地域に根ざした存在として親しまれています 。
パン屋の歴史は日本の近代化の歩み
日本におけるパン屋の歴史は、海外からの影響を受けながらも、日本人の嗜好や文化に合わせて独自の進化を遂げてきました。戦国時代の伝来から現代の多様化まで、パン屋は日本の近代化とともに歩んできたのです。
![]()

